ec_wp_こころの余白_誰にも言えない罪悪感は、どこに置けばいいのか

職場という、逃げ場のない空間で感じる違和感。その正体を、今日は一緒に見つめてみましょう。

あなたは今、職場で何かを「秘めて」いませんか。

それは、誰かに話せば「考えすぎだよ」と笑われそうなこと。上司の何気ない一言に感じた棘。同僚の視線に込められた、何とも言えない冷たさ。あるいは、自分だけが取り残されているような、名前のつかない焦燥感。

そうしたネガティブな感情を抱えながら、あなたは毎日、何事もないふりをして出勤しています。デスクに座り、メールに返信し、会議で頷き、帰宅する。その繰り返しの中で、あなたの心は少しずつ、削られ続けています。

そして、削られていることに気づいているのに、あなたはその痛みを「罪悪感」として抱え込んでしまう。なぜなら、周囲は何も気づいていないように見えるから。自分だけが過剰に反応しているのではないかと思うから。こんなことで傷ついている自分が、弱く、情けなく感じられるから。

では、この罪悪感は、どこに置けばいいのでしょうか。

職場という空間は、不思議な場所です。家族でもなく、選んだ友人でもない人々と、長い時間を共にします。そこには、明文化されたルールと、誰も口にしない暗黙の了解が混在しています。

「空気を読む」「波風を立てない」「個人的な感情を持ち込まない」

こうした言葉にならない期待が、職場にはいくつも漂っています。そして、その期待に応えようとすればするほど、あなたの本当の感情は、行き場を失っていきます。

たとえば、あなたが上司の言葉に傷ついたとします。それは、明らかなパワハラではないけれど、何か引っかかるものがある。でも、それを誰かに相談すれば、「そんなつもりじゃなかったんじゃない?」「深読みしすぎ」と返されそうで、言葉を飲み込む。

あるいは、同僚との何気ない会話の中で、自分だけが笑いのタイミングをつかめなかったとき。ほんの一瞬のズレですが、その瞬間、自分がこの場所に馴染めていないことを痛感する。そして、そう感じてしまう自分を責める。

こうした小さな違和感の積み重ねは、あなたの心を静かに、しかし確実に削っていきます。そして、削られていることを誰にも言えないまま、あなたはその痛みを「罪悪感」という名前で内側に閉じ込めてしまうのです。

なぜ、あなたは罪悪感を抱くのでしょうか。

それは、あなたが「感じてはいけない」と思っているからです。職場では、感情よりも業務が優先される。個人の痛みよりも、チームの調和が求められる。そんな空気の中で、あなたは自分の感情を「わがまま」だと判断してしまいます。

でも、本当にそうでしょうか。

あなたが感じている違和感は、わがままではありません。それは、あなたの心が「ここは安全ではない」と教えてくれているサインです。上司の言葉に棘を感じたのなら、それはあなたの境界線が侵されたということ。同僚の視線に冷たさを感じたのなら、それはあなたが孤立を察知したということ。

そして、それらを「感じてしまう自分」を責める必要はありません。なぜなら、感じることは、あなたが人間である証だからです。

ただ、職場という場所は、その感情を素直に表現することを許してくれない。だから、あなたはその痛みを心の奥に押し込め、罪悪感という蓋をして、日常を続けようとします。

けれど、蓋をしたからといって、痛みは消えません。それどころか、見えないところで膨らみ続け、あなたの心をさらに削っていきます。朝、目が覚めた瞬間に感じる重たさ。通勤電車の中で湧き上がる、説明できない不安。デスクに座った途端に訪れる、息苦しさ。

それらはすべて、あなたが秘めてきたネガティブな感情が、形を変えて現れているものです。

では、この罪悪感を、どこに置けばいいのでしょうか。

まず、あなたにお伝えしたいのは、罪悪感を「置く場所」を探す前に、それが「罪悪感ではない」と気づくことです。

あなたが抱えているのは、罪ではありません。それは、痛みです。そして、痛みを感じることは、罪ではないのです。

上司の言葉に傷ついたこと。同僚との距離感に戸惑ったこと。職場で自分だけが浮いているように感じたこと。これらはすべて、あなたが「自分を守ろうとしている」反応です。

人間には、自分を守るための境界線があります。それは、物理的な距離だけでなく、心の距離でもあります。誰かがその境界線を越えてきたとき、あなたは違和感を覚えます。そして、その違和感は、あなたに「ここまでは許せるけれど、ここからは許せない」という線を教えてくれます。

職場で感じる痛みは、その境界線が曖昧にされたときに生まれます。なぜなら、職場では「個人の感情」よりも「組織の論理」が優先されるからです。あなたの境界線は、しばしば無視されます。そして、それに抵抗することは、「協調性がない」と見なされるリスクを伴います。

だから、あなたは境界線を守ることを諦め、その痛みを「自分が悪い」と変換してしまうのです。

でも、あなたは悪くありません。ただ、職場という環境が、あなたの境界線を尊重してくれないだけです。

次に、あなたにお伝えしたいのは、罪悪感を「置く場所」は、あなたの外側にはないということです。

多くの人は、痛みを誰かに話せば楽になると考えます。それは、ある意味では正しいのですが、職場で感じる痛みに関しては、必ずしもそうとは限りません。

なぜなら、職場の人間関係は、利害関係で結ばれているからです。あなたが上司に傷ついたことを同僚に話せば、その情報は思わぬ形で広がるかもしれません。あなたの痛みは、噂話のネタに変わるかもしれません。あるいは、「面倒な人」というレッテルを貼られるかもしれません。

だから、職場で感じた痛みを、職場の中で処理しようとすることは、時にリスクを伴います。

では、どうすればいいのか。

罪悪感を置く場所は、あなたの内側にあります。ただし、それは「抱え込む」ということではありません。それは、「認める」ということです。

あなたが感じている痛みを、誰にも話さなくてもいい。ただ、あなた自身が「私は今、痛みを感じている」と認めてあげてください。

それは、日記に書くことかもしれません。一人で散歩しながら、心の中で呟くことかもしれません。あるいは、鏡の前で自分に向かって、「今日は辛かったね」と声をかけることかもしれません。

どんな形でもいい。ただ、あなたの痛みを、あなた自身が受け取ってあげてください。

そして、もう一つ。罪悪感は、「置く」のではなく、「手放す」ものだと知ってください。

あなたが感じているのは、本来、罪ではありません。それなのに、あなたはそれを「罪悪感」という形で抱えてしまっています。その理由は、あなたが「感じてはいけない」と思っているからです。

でも、感じてもいいのです。痛みを感じることは、あなたの権利です。そして、その痛みを誰かに理解されなくても、あなた自身が理解していれば、それでいいのです。

職場という場所は、あなたの感情を削り続けるかもしれません。でも、あなたは削られるだけの存在ではありません。あなたには、自分を守る力があります。そして、その力は、あなたが自分の痛みを認めたときに、初めて働き始めます。

罪悪感を置く場所を探す必要はありません。ただ、それが「罪ではない」と気づいてください。そして、あなたの痛みを、あなた自身が受け取ってあげてください。

その痛みを感じる心は、あなたが自分を大切にしようとしている証です。

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